転居日誌(2):サ高住

元々、2年半前のことですが、後期高齢者を迎えて自分の終の棲家について考え始めていました。一人住まいで自宅を管理し、その上ここで生涯を終える・・・そうする上での障害について考えた。先ず、当面の課題はこの家のメンテナンスである。建売住宅を購入して既に39年を経ていてあちこち痛みが激しい。これを手入れするのに逐一業者との折衝、補修を何回くらい積み重ねることだろう。恐らく4~5回ではきかないだろう。毎夏を伸び盛る雑草との格闘、隙間風の寒さに震える冬対策もある。自分の健康への不安もある。そして得た結論は、そうだ[サービス付き高齢者住宅」(通称、サ高住)への入居を検討しよう、だった。そしてネット検索を通じて色んなサ高住を見て常識を蓄え始めた。


朝井まかて:「眩(くらら)」

江戸末期が舞台だから作者にとっては勝手知ったる世界なのでしょう。「この世は円と線でできている」と物語が始まった。自分は水彩画を習っているので絵に関する一言一言がぐさりとくる。葛飾北斎には娘がいて同じ浮世絵師だったのだろうか?早速ネットで調べてみると、北斎は2男3女をもうけていて、その3女が葛飾応為と称した浮世絵師だったらしい。この応為の生涯を描いた物語だった。小さい時から絵が好きで工房に入り浸りそのまま絵師になったようだ。
3代目堤等琳の門人・南沢等明に嫁したが、父譲りの画才と性格から等明の描いた絵の拙い所を指して笑ったため、離縁されてしまう。出戻った応為は、晩年の北斎と起居を共にし、作画を続け、北斎の制作助手も務めたとされていて彩色を北斎に代わってかなりこなしていたようだ。北斎に私淑していた渓斎英泉との恋心を横糸にして縦糸はもちろん北斎を中心とした画界の流れであろう。長崎から川原慶賀という長崎のオランダ商館お抱えの画家がやってきて西画を依頼されて、西洋の遠近画法に接して大おいに戸惑うところが「先生のお庭番」と通底する。富嶽三十六景に挑み、神奈川沖浪裏を試し刷りした時、そこに居合わせた人たちの息を呑む。
ふだん穏やかで、江戸と気軽に行き来できる神奈川沖なのだ。魚や薪炭を運んで、それを暮らしの生計にしている。けれどいざとなれば海はかくもそびえ立って、襲いかかってくる。並に船ごと飲まれて死ぬか。それとも乗り切れるのかの瀬戸際がここには描かれていた。だが人びとはこれらの船は決して沈まぬと信じるだろう。絵の中心に、富士の山が描かれているからである。己ではどうしようもない境遇にあっても、富士の山はいつも揺るぎなく美しい。
「死んじまうその瞬間まで生き抜こうじゃねぇか。親父どのの呟きが耳朶に響いたような気がした。深刻な声ではない。いつものように肩の力の抜けた、洒落のめすような物言いだ。」(本文より抜粋)


転居日誌(1)

10月17日、1本の電話がこの話のスタートになった。それは予てからコンタクトを取っていた某不動産会社の営業マンMさんからの電話だった。「その後例の話はどうなっていますか?実はあなたの住んでいる団地で土地を求めている人がいていくつか話をお勧めしているのですが、お宅はどうなんでしょうか?」、それに対して「その後例の話は進展はありませんが、自分の気持ちが少し変化しましてね・・・」と答える。「実は、中古マンションを今物色中なんですよ。多摩センター辺りから相模原、八王子、豊田辺りを集中してネットで見ています。」と続ける。Mさん俄然声が元気になって話がはずんだ。それもその筈、Mさんとはもうかれこれ2年半を越えるコンタクトが続いていたからだ。そしてこの話が「瓢箪から駒」よろしく、12月4日の転居に結びつくのだから自分自身すら呆気にとられるというところだ。これからこの話をほぼリアルタイムで記録に残しておこうと思う。


宮部みゆき:「楽園」上・下

よくできた物語のようにしか思えない海の向こうの宗教は、人間は原罪を抱えていると説く。神が触れることを禁じた果実を口にして、知恵を知り恥を知り、しかしそれによって神の怒りに触れ、楽園を追放されたのだという。それが真実であるならば、人びとが求める楽園は、常にあらかじめ失われているのだ。それでも人は幸せを求め、確かにそれを手にすることがある。錯覚ではない。幻覚ではない。海の向こうの神がどう教えようと、この世を生きる人びとは。あるとき必ず、己の楽園を見出すのだ。たとえほんのひとときであろうとも。-本文より引用
身内にどうしようもないものが出たとき、家族は一体どうすればよいのでしょうか?そんな出来損ないなど放っておけ、切り捨ててしまえば良いのでしょうか?誰かを排除しなければ、切り捨てなければ得ることのできない幸福がある?
難問を解き明かしていく長編でした。結構面白かった。


マイケル・ピルズベリー:China2049

1949年は中国に共産党政権が誕生した年で、中華人民共和国となってから100年で世界制覇するという目標を立てたという。名付けて「中国の世界制覇100年戦略」。かってCIAの中の親中派だった著者が中国の軍事戦略研究の第1人者と言われていたらしいが、その後100年戦略を理解するようになり警鐘を鳴らしだした。中国の真の姿は孫子の教えを奥底で守り、、如才なく野心を隠し、アメリカのアキレス腱を射抜く最善の方法を探し続ける極めて聡明なる敵だと結論づけている。世界には和ぞ奥のシンクタンクやインテリジェンスと称する諜報機関が活動している、情報こそすべての世界、それに基づいた戦略と戦略がぶつかり合っているらしい。我々市民はどう立ち向かえばよいのだろうか?およそ立ち向かうなど不可能なことだろう。選挙が近づくに連れ、判断の正しさが求められるのだが・・・血胸は審理できそうな人物本位で政治家を見ていくことが必要なような気がする。


政界様変わり

安倍内閣の「もり・かけ隠しの勝手解散」と思っていたら、あっと言う間に津波か洪水に流された街の風景に似て荒れ果てた政界の町並みが現れた。この激変を招いた張本人は勿論安倍首相だが、その本人も驚くほどの毒を含んでいたのだ。前原氏がその毒に当てられて、予てから細野氏と画策していた小池百合子への接近を現実のものにし、あっという間に民進党は互解した、という風に感じる。総選挙の後にどんな政界の町並みが出現するのか?日本国民の良識が問われている。こんな政治世界を長い年月をかけて作ってきたのが他ならぬ日本国民そのものなのだ。


深緑野分:「戦場のコックたち」

アメリカのパラシュート部隊に所属するコック、ティモシー(通称キッド)が主人公の戦場ミステリ。戦争の本当の悲惨さも怖さもろくに考えずに志願兵に応募した17歳。
あの有名な第2次世界対戦でのノルマンディ上陸作戦から物語が始まる。題材からして日本人作家の作品とは思えず翻訳者かと何回も奥付やタイトルを見直す、やはり日本人作家のオリジナル作品だ。パラシュート兵としてフランスの戦場に降下し、ドイツ降伏までフランス、ベルギー、ドイツと戦線を渡って行く。コックなのだが平生は一兵士として戦闘に参加するのだ。ヨーロッパ戦線について未知の部分が多く興味深く読みました。戦場での極限の生活の中で起こる不可思議な出来事を見事に解き明かしていくミステリー形式。悲惨な戦闘シーンとそこで起きるちょっとした不思議な出来事を先輩のエドが謎解きをする。その解けた時のほのかな爽快感とのバランスが面白い。そして戦線をわたり、謎解きが終わる度にキッドは少しずつ大人になっていく。それにしてもアメリカは太平洋では日本と戦い、ヨーロッパでもこれだけの規模の軍を同時に投入して戦った国力の違いを改めて思う。物資の豊富なこと、兵站を考えて着実に戦いを進めていたのでしょうね。最後にナチの捕虜収容所までたどり着いてその悲惨さに絶望的になる。人間はここまでひどいことをしてしまう動物だということを。戦争の悲惨さ、愚かしさを声高に叫ぶことなく一冊の本の中に書き込んだ会心作では!?
作品の中で出てきたレーション(ration:糧食)について。配給品のことらしいが一般的には軍隊の携行糧食のことでコンバットレーションというらしい、略してKレーション。この前読んだ「キジムナーKids」ではお腹をへらした子どもたちが進駐軍の兵士たちからこのKレーションをせしめた時の得意げな話が思い出された。


恩田陸:「蜜蜂と遠雷」

第156会直木賞受賞作。第14回本屋大賞のダブル受賞した話題作で、図書館予約でも抜群の人気作だった。ようやく順番が128番まで来たところでテニス仲間のOさんから声がかかった。お話では自分も予約してあったが300番以上で当分ダメと諦めていたが、何とお嬢さんが購入済みだったとかで今読んでいる。読み終わったら読みますか?とのお誘いで、それは喜んでお受けした。その本が我が家に来てもう1周間は過ぎたか?今日無事読み終った。507ページの大作だった。3年毎に開かれる芳ヶ江国際ピアノコンクールに出場した5人の若者たちのコピいィティションでの闘いを第1次~第3次予選、そして本戦と選抜を通して自らの葛藤を描き、勝ち進むに連れ、気持ちが浄化され研ぎ澄まされ、競争相手の演奏が実は自分を高めてくれると感じ取り、高みに成長していく様をみずみずしく描いていた。何より演奏するピアノ曲に対する若者たちの感受性を詳細に書き上げる作者のクラシック音楽への造詣の深さにも驚かされた。聞く所によればご本人のピアノに対する造詣は深く、学生時代はアルトサックスを吹いていたそうだ。それにしてもクラッシック音楽に対する知識の深さがないと中々沢山の楽曲について演奏スタイルに対する描写力も大変なものだった。作中に出てくる栄伝亜夜20歳は13歳の時に自分を音楽の道に歩ませてくれた母の突然の死以来、公の場から姿を消したかっての天才少女で、その彼女の心の動きには自分を重ね合わたかのように作者の思い入れが伝わってきた。青春群像を描く小説は作者の得意の領域のようだ。図書館の予約を取り消そうとウェブサイトを開くと、何と予約総数は840を越えていた。


夏の甲子園野球も終わった

今年の高校野球は面白かったのではなかろうか?「なかろうか?」というのには訳がある。疑問符を呈するほど例年は殆んど見ていないからだ。結果をニュース番組で見たり新聞で知る程度だからだ。時々予選のころ、ふと自分の母校がどうしているか知りたくなって地方予選の小さな記事を漁ることはある。自分の出身校は今では地方では名だたる進学校で東大に何十人もの合格者を出すらしいが、自分の在籍時は地元の大学には多くの入学者を出すが、運動や文芸のクラブ活動もそれなりに活発で、それはそれで素晴らしい青春時代を過ごさせてもらった大切な学校だし、在学中に一度甲子園にも出場したことがあったのだ。たしかその後、地方予選を勝ち抜いたことはないのではないだろうか?だからでもないが、地方予選の小さな記事を目を皿のように探し、3回戦辺りまで勝ち進むと「ようやっとるではないか」と賞賛の声を独り言で褒めたりもする。今年の甲子園ににわかに興味を持ち出したのは準々決勝戦辺りからだ。ホームランがやたらと多いらしいとテレビかで知って、朝の連ドラが終わるとそのまま高校野球に繋がるのでついつい見てしまったのが事の始まりだった。東海大菅生という八王子から割と近いあきる野市というところから出場している西東京代表校が勝ち進んでいたこともあった。そして奇しくも準決勝戦が西の代表選抜(広陵対天理)と東の代表選抜(東海大菅生対埼玉特栄)という対戦カードになったことでいやが上にも盛り上がったのではないだろうか?決勝は埼玉県初の優勝校ということで幕を閉じたが、その間一貫しての印象は「打力の凄まじさ」であった。高校生の運動能力の向上で軽々と外野スタンドにボールを運ぶバットスイングの切れ味の良さにはほとほと驚嘆した。ホームラン数の多さといい、広陵中村選手の驚異的な打率、最多ホームランであの清原の記録を30数年ぶりに書き換えた、などなど。何だか高校野球も新しい時代に突入したかの印象を強くした。そんな高校野球の選手たちを見るにつけ、この人たちの1割がサッカーにシフトすれば、現在を凌ぐ世界的な選手が続出するのも夢ではないだろうとか、錦織選手を上回る世界水準のプロテニス選手の輩出も夢ではないだろうなぁ・・・などと夢想しながら眠りにつく日々ではあった。


上原正三:「キジムナーKids」

偶然図書館からやってきた本は戦中戦後をたくましく生きた子供たちの物語だった。8月15日を挟んで一気に読んだ。子供向けに書かkれ他ものかもしれないが内容は子供には重過ぎるかもしれない。自分でも知ることのすくなかった沖縄戦の悲惨さ、日本軍の身勝手さ、その中を生き抜いた子供たちはあらゆる手段で食べ物をくすね、米軍から「ギブミー」し、生き抜く。そして一人一人の親兄弟がどうして亡くなっていったかを知る。ふんだんに出てくる沖縄言葉(ウチナーグチ)が却って臨場感をものに与えていて効果的だ。読み進めるにあたってもそれほど気にならない。脚注が役に立つ。