恩田陸:「蜜蜂と遠雷」

第156会直木賞受賞作。第14回本屋大賞のダブル受賞した話題作で、図書館予約でも抜群の人気作だった。ようやく順番が128番まで来たところでテニス仲間のOさんから声がかかった。お話では自分も予約してあったが300番以上で当分ダメと諦めていたが、何とお嬢さんが購入済みだったとかで今読んでいる。読み終わったら読みますか?とのお誘いで、それは喜んでお受けした。その本が我が家に来てもう1周間は過ぎたか?今日無事読み終った。507ページの大作だった。3年毎に開かれる芳ヶ江国際ピアノコンクールに出場した5人の若者たちのコピいィティションでの闘いを第1次~第3次予選、そして本戦と選抜を通して自らの葛藤を描き、勝ち進むに連れ、気持ちが浄化され研ぎ澄まされ、競争相手の演奏が実は自分を高めてくれると感じ取り、高みに成長していく様をみずみずしく描いていた。何より演奏するピアノ曲に対する若者たちの感受性を詳細に書き上げる作者のクラシック音楽への造詣の深さにも驚かされた。聞く所によればご本人のピアノに対する造詣は深く、学生時代はアルトサックスを吹いていたそうだ。それにしてもクラッシック音楽に対する知識の深さがないと中々沢山の楽曲について演奏スタイルに対する描写力も大変なものだった。作中に出てくる栄伝亜夜20歳は13歳の時に自分を音楽の道に歩ませてくれた母の突然の死以来、公の場から姿を消したかっての天才少女で、その彼女の心の動きには自分を重ね合わたかのように作者の思い入れが伝わってきた。青春群像を描く小説は作者の得意の領域のようだ。図書館の予約を取り消そうとウェブサイトを開くと、何と予約総数は840を越えていた。


夏の甲子園野球も終わった

今年の高校野球は面白かったのではなかろうか?「なかろうか?」というのには訳がある。疑問符を呈するほど例年は殆んど見ていないからだ。結果をニュース番組で見たり新聞で知る程度だからだ。時々予選のころ、ふと自分の母校がどうしているか知りたくなって地方予選の小さな記事を漁ることはある。自分の出身校は今では地方では名だたる進学校で東大に何十人もの合格者を出すらしいが、自分の在籍時は地元の大学には多くの入学者を出すが、運動や文芸のクラブ活動もそれなりに活発で、それはそれで素晴らしい青春時代を過ごさせてもらった大切な学校だし、在学中に一度甲子園にも出場したことがあったのだ。たしかその後、地方予選を勝ち抜いたことはないのではないだろうか?だからでもないが、地方予選の小さな記事を目を皿のように探し、3回戦辺りまで勝ち進むと「ようやっとるではないか」と賞賛の声を独り言で褒めたりもする。今年の甲子園ににわかに興味を持ち出したのは準々決勝戦辺りからだ。ホームランがやたらと多いらしいとテレビかで知って、朝の連ドラが終わるとそのまま高校野球に繋がるのでついつい見てしまったのが事の始まりだった。東海大菅生という八王子から割と近いあきる野市というところから出場している西東京代表校が勝ち進んでいたこともあった。そして奇しくも準決勝戦が西の代表選抜(広陵対天理)と東の代表選抜(東海大菅生対埼玉特栄)という対戦カードになったことでいやが上にも盛り上がったのではないだろうか?決勝は埼玉県初の優勝校ということで幕を閉じたが、その間一貫しての印象は「打力の凄まじさ」であった。高校生の運動能力の向上で軽々と外野スタンドにボールを運ぶバットスイングの切れ味の良さにはほとほと驚嘆した。ホームラン数の多さといい、広陵中村選手の驚異的な打率、最多ホームランであの清原の記録を30数年ぶりに書き換えた、などなど。何だか高校野球も新しい時代に突入したかの印象を強くした。そんな高校野球の選手たちを見るにつけ、この人たちの1割がサッカーにシフトすれば、現在を凌ぐ世界的な選手が続出するのも夢ではないだろうとか、錦織選手を上回る世界水準のプロテニス選手の輩出も夢ではないだろうなぁ・・・などと夢想しながら眠りにつく日々ではあった。


上原正三:「キジムナーKids」

偶然図書館からやってきた本は戦中戦後をたくましく生きた子供たちの物語だった。8月15日を挟んで一気に読んだ。子供向けに書かkれ他ものかもしれないが内容は子供には重過ぎるかもしれない。自分でも知ることのすくなかった沖縄戦の悲惨さ、日本軍の身勝手さ、その中を生き抜いた子供たちはあらゆる手段で食べ物をくすね、米軍から「ギブミー」し、生き抜く。そして一人一人の親兄弟がどうして亡くなっていったかを知る。ふんだんに出てくる沖縄言葉(ウチナーグチ)が却って臨場感をものに与えていて効果的だ。読み進めるにあたってもそれほど気にならない。脚注が役に立つ。


被爆後72年目

今日八王子は台風一過のフェーン現象で今夏最高の37度を記録した。今日長崎の原爆慰霊祭がしめやかに行われた。広島ほど大きく報じられることはないが、その悲惨さに変わりはない。その原水爆禁止の運動にとって今年はエポックメーキングとなる年になった。被爆後72年目にして国連で123カ国が賛成した「核兵器禁止条約を2017年にかいしすべしとする廃絶決議案が可決された。核兵器を禁止する国際的な法的枠組み作りを目指して一歩を踏み出したのだ。国連の軍縮委員会での決議だ。この制定に至るまでに活躍した大勢の日本人、大量の署名、請願書、被爆者の粘り強い訴えが積み重なって勝ち得たものだ。その軍縮委員会では今月末、中満泉氏が日本人女性初の本部事務次長に就任する。また、国連アジア太平洋平和軍縮センター政務官に新たに任用された荊尾遥(かたらお・はるか)さんも広島出身ということで注目されているらしい。広島の爆心地に近い広島女学院中学高等学校に通い、市民団体「インド・パキスタン青少年と平和交流をすすめる会」に参加した経験から軍縮に興味を持ち、化学兵器禁止条約担当の専門調査員として経験も積み、JPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)に合格し、正規職員を目指す1歩を歩みだしたと新聞に報じられていた。日本女性の国連での活躍が目立つようになってきて頼もしい。


やすらぎの郷

テレビ番組を見ることはすごく少なくなった。忙しいのが理由の第一だが、番組に魅力がないのも大きな理由だ。何事も興味を失ったり、好奇心が薄れてくるのは良いことではないと思ってきたが、テレビより他にやることがあるというわけだから良しとするべきだろう。本来なら水彩スケッチにもっと時間を割くべきなのだが、テニスもある。こちらは体力維持を計るという切実な目的があり、減らすことはできない。かくして日中はNPOがなくて晴れていればテニスに行く。2試合もすればこの暑さだからヘナヘナと萎れたように消耗する。夜はもう寝るしかない。そこにNPOの仕事が重なってそちらの比重がドンドン高くなっている。NPOで最も力を入れているのがタブレットを主体にしたシルバーの倶楽部運営である。タブレットの講座を受講頂いた方々の中から更に継続して親しみたいという希望者を募集したところ、20名ほどの登録をいただき、1年半続けたら常連のメンバ-が12~13人できて、毎回熱心に通ってきてくれる。この倶楽部で毎回ミニ講座と認知症予防体操を組み合わせて2時間楽しく過ごすのである。
ところが今ハマっているテレビ番組が1つだけある。やすらぎの郷である。切っ掛けは何かの拍子で目にした、テレビ番組の紹介で倉本聰が昼の帯ドラマを書いたというのだ。それが「やすらぎの郷」だ。これをビデオ予約してあり、空いた時間にまとめて観るのだ。このドラマは長年テレビ業界のために尽くしてきた人たちに安らかな老後を送ってもらいたいというある篤志家が設立した「やすらぎの郷」をぶたいにしたもので、業界の人達も風のうわさでは聴くものの、その実態は霧の中で、よくわからないところという設定だ。往年の名女優がぞろぞろお出ましになる。そこに[あなたもよろしければどうぞ」と招かれて入居することになったシナリオライター(石坂浩二)の目を通して、過去の栄光を引きずった名優やそういう表舞台ではなく裏方で業界に尽くした人たちが外見上は穏やかに過ごしている様子を描いていく。しかし、実際には未だ色んな未練を持っている人、遺産のこと、健康のこと、死に様のことなど話題は様々であり尽きることはない。何しろ暇なので同居している同類の人たちへの関心は並のものではない。シルバーエイジにはそれはそれなりに悩みや煩悩は多いのだ。一番驚いたのは、先日亡くなられた野際陽子、訃報を聞いたその週の番組にも出ているではないか!ドラマのそこまで6,70回頃までのレギュラー出演者ではあったのだが、その後もずーつと出演している。聞けば、亡くなる1ヶ月位前まで収録に通っておられたとか、その執念というか頑張りというか、感嘆してしまった。このドラマについてはまた触れることもありそうだ。


進む、日本語の劣化

国民から愛想をつかされた安倍内閣が内閣改造をし、NHKは必死でその再生を宣伝している(ようにしか見えないのはなんとも不幸なことだ)。バカにされた野党も野党だが、一番国民を舐めてかかったのは安倍首相本人であって、この一連の不祥事を招いた大半の責任は首相本人にあるのだから、いくら閣僚の首をすげ替えたとしても本人が変わらなければ如何ともしがたい。一番変えねばならないは改造を実施した本人なのだから、話にならない。(問題を起こした閣僚のお粗末さは言を俟たない)
この内閣の功罪は色々あるのだろうが、そのことについてはマスコミや識者が整理して解説してくれるだろうからそういう具体的なことは言わない。ここで指摘したい最も大きな罪は「著しく日本語を劣化させたこと」だと思う。その象徴が「丁寧に説明する」というセリフだ。この「丁寧に説明する」という言葉を聞くと腹立たしくなる。閣僚たちや党の首脳、そして野党の皆さんまで真似して使う国会での流行語大賞だ。その心は「丁寧という意味は審議に何時間充てたかという時間尺で計ることができる」とするものだ。何時間でも質問に対し、「記憶にない」、「思い出せない」を繰り返して嵐をやり過ごすことが丁寧に説明する、という意味だと国民に刷り込み続けている。聞いていて、明らかに「嘘っぽい」証言を見聞きしていると、判りの遅い国民も段々分かってくることがある。国会は「言論の府]とも言われ、言葉で政策を論じ、所信を説明する場だと言われている。そして国民はその発言を通してその人物を見ているということも事実だ。この国民の人を見る眼の確かさに最後は期待するしかない。そういう意味では丁寧な説明=長時間嘘を言い続ける、ということの教育的効果も成る程、あるものだと思えてくる。


恩田陸:「消滅」

自分が海外への出張や旅行から帰国した時、一番に何をしたかったかな?海外旅行を最後にしたのは2004年のカナダだったかな?
そんなことを思い出させるような日本の空港に飛行機が着いた時、入国審査コーナーに向かう時のことが思い浮かぶ。「早く淡々軒の肉ワンタン麺が食べたい」小津泰久、いつも怪しい雰囲気を発散するのか、どこの国ででも入国時トラブルに巻き込まれる大島凪人、その彼にぶつかった子供とその母親、飛行機大好き人間の岡本喜良(きら)、飛行機の中で終始眠っていた爆睡女(女医)海外出張を何回やっても緊張から便秘になってしまう成瀬幹征、育ちの良さそうな中年女性。彼らがこの物語の主人公だ。降り立った空港で異常事態が発生し、入国審査コーナーで次々と別室に連れて行かれる。そこには何故だか先客の中年男とどこから紛れ込んできたのかコーギー犬も1匹。犬は別として集められた日本人の中にテロリストが紛れ込んでいるという疑いがかけられる。テロリストが日本に入国したらしいという国際調査期間からの連絡で騒然とする中、彼らは隔離された部屋に閉じ込められ、「一人混じっているその日本人テロリストそれが誰だかわからない、がそれを相互に見付け合ってほしい」と空港のうら若い女性の管理官から依頼される。どうしてだか分からない中、イライラしながら女性管理官に突っかかる。そして何とこの女性が人間ではなく、アンドロイドのキャスリンとわかる。一体時代設定はいつなんだろう。外観も会話能力もどこから見ても人間、いや人間以上のAIを備えている。彼女?管理され、リードされ、早く開放されたい一心で仕方なく見ず知らず同士で会話が始まる。映画で見た陪審員裁判劇を見るような感じで物語が展開していく。「消滅」が目的だというテロリストは何を「消滅」させようというのか?分からない中での手探りの一人ひとりの感慨、観察、推理、抱えている人生の様々が描かれていて面白い。一体、テロはどういう形で起きるのか、本当にテロリストはいるのか、固唾をのむ内に物語は進む。結末は書けない、この種の物語でそれを書いてしまっては身も蓋もない。読んでみなければ・・・この作者らしい結末が用意されていた。


夏草との戦い

梅雨明け宣言以降の天候のほうが却って梅雨らしい天候というのもおかしなことだ。昨日は一昨日からの雨が午前には上がり、気温もそれほど高くなく絶好の草むしり日和となった。日頃の手抜きのため作業がはかどらないこと甚だしい。そして例によって無農薬、無肥料になる雑草農法でミョウガを少々採取。夕食のお味噌汁は香り高い豆腐にミョウガを散らして頂いた。


吉村昭:「シーボルトの娘」

今年の7月は暑い。天気予報によると今年の東京7月の温度は例年に比べ3.5度も高いという。雨もろくにふらなかったので、これからの水不足も心配だ。というわけでブログを書く意欲が湧いてこない。そして、しかし、去年の12月から断続的に読み進めてきたこの長編をようやく読み上げた。小説には違いないが殆んどドキュメントにも等しく、史実を丹念に読み解き再編して激動の江戸時代から明治時代へのめくるめくような変革の嵐をシーボルトの娘の視点で描き出していた。実は恥ずかしいことながらシーボルトが一度、日本を追放されてから再来日していたということをこの本を読むまで知らなかった。またその子孫が明治期にかなりに役割を果たしていたことも勿論、本書で初めて知った。江戸時代の末期とは言え、向学心に燃える医学生達が長崎を目指して集まり、そして全国に散って教育に当り、医学以外の各分野の国民の知識水準が相当に高いレベルにあったことがあの変革を乗り切り、列強の侵略主義を瀬戸際で食い止める力と知恵に繋がったのかもしれないと想像もさせられた。シーボルトの娘とその母娘たちの舐めた苦労もあの大きな変革の渦の中では大したことではないのではないかという思いにさせられるほど記述は叙事詩的だった。足掛け8ヶ月の中には、図書館から予約してあった本が届いてそれを読むために中断を繰り返したことも多かった。読み終えてヤレヤレというのももう一つの感慨だ。本書をお貸しくださったHさんにお礼を言います。有難うございました。


横山秀夫:64(ロクヨン)

その事件は昭和64年に起こり、未解決のまま来年には時効を迎える、という時代設定。D県警痛恨の未解決幼女誘拐殺人事件だ。しかしそれは単なる未解決事件ではなくそこにはD県警が抱える闇があったのだ。主人公三上はその事件にも関わったことのある刑事、いまはD県警広報官。記者クラブを相手に警察の持つ隠ぺい的な体質をめぐり軋轢が絶えない。そこへ警察庁長官の視察が突然設定される。実はそこにはかくされた別の目的があった。つい1ヶ月ほど前には航空自衛隊の広報室を舞台にした小説を読んだところだったのに、今回は警察の広報官が主役という偶然のめぐり合わせに驚きながら複雑な人間関係を頭に入れて読み進めた。昭和64年というのは実は1週間しかないのだ。その間に事件が起きた。迷宮入りした原因の一つは犯人からの電話の逆探知に失敗したことだったのだが、昭和天皇の崩御をめぐる報道の混乱の中で厳しい追求の目から見逃されたこともあった。刑事魂や本部エリートと地元警官との目に見えない角逐など知らない世界を垣間見せてくれる。映画化もされたらしいが知らなかった。