夏の甲子園野球も終わった

今年の高校野球は面白かったのではなかろうか?「なかろうか?」というのには訳がある。疑問符を呈するほど例年は殆んど見ていないからだ。結果をニュース番組で見たり新聞で知る程度だからだ。時々予選のころ、ふと自分の母校がどうしているか知りたくなって地方予選の小さな記事を漁ることはある。自分の出身校は今では地方では名だたる進学校で東大に何十人もの合格者を出すらしいが、自分の在籍時は地元の大学には多くの入学者を出すが、運動や文芸のクラブ活動もそれなりに活発で、それはそれで素晴らしい青春時代を過ごさせてもらった大切な学校だし、在学中に一度甲子園にも出場したことがあったのだ。たしかその後、地方予選を勝ち抜いたことはないのではないだろうか?だからでもないが、地方予選の小さな記事を目を皿のように探し、3回戦辺りまで勝ち進むと「ようやっとるではないか」と賞賛の声を独り言で褒めたりもする。今年の甲子園ににわかに興味を持ち出したのは準々決勝戦辺りからだ。ホームランがやたらと多いらしいとテレビかで知って、朝の連ドラが終わるとそのまま高校野球に繋がるのでついつい見てしまったのが事の始まりだった。東海大菅生という八王子から割と近いあきる野市というところから出場している西東京代表校が勝ち進んでいたこともあった。そして奇しくも準決勝戦が西の代表選抜(広陵対天理)と東の代表選抜(東海大菅生対埼玉特栄)という対戦カードになったことでいやが上にも盛り上がったのではないだろうか?決勝は埼玉県初の優勝校ということで幕を閉じたが、その間一貫しての印象は「打力の凄まじさ」であった。高校生の運動能力の向上で軽々と外野スタンドにボールを運ぶバットスイングの切れ味の良さにはほとほと驚嘆した。ホームラン数の多さといい、広陵中村選手の驚異的な打率、最多ホームランであの清原の記録を30数年ぶりに書き換えた、などなど。何だか高校野球も新しい時代に突入したかの印象を強くした。そんな高校野球の選手たちを見るにつけ、この人たちの1割がサッカーにシフトすれば、現在を凌ぐ世界的な選手が続出するのも夢ではないだろうとか、錦織選手を上回る世界水準のプロテニス選手の輩出も夢ではないだろうなぁ・・・などと夢想しながら眠りにつく日々ではあった。


やすらぎの郷

テレビ番組を見ることはすごく少なくなった。忙しいのが理由の第一だが、番組に魅力がないのも大きな理由だ。何事も興味を失ったり、好奇心が薄れてくるのは良いことではないと思ってきたが、テレビより他にやることがあるというわけだから良しとするべきだろう。本来なら水彩スケッチにもっと時間を割くべきなのだが、テニスもある。こちらは体力維持を計るという切実な目的があり、減らすことはできない。かくして日中はNPOがなくて晴れていればテニスに行く。2試合もすればこの暑さだからヘナヘナと萎れたように消耗する。夜はもう寝るしかない。そこにNPOの仕事が重なってそちらの比重がドンドン高くなっている。NPOで最も力を入れているのがタブレットを主体にしたシルバーの倶楽部運営である。タブレットの講座を受講頂いた方々の中から更に継続して親しみたいという希望者を募集したところ、20名ほどの登録をいただき、1年半続けたら常連のメンバ-が12~13人できて、毎回熱心に通ってきてくれる。この倶楽部で毎回ミニ講座と認知症予防体操を組み合わせて2時間楽しく過ごすのである。
ところが今ハマっているテレビ番組が1つだけある。やすらぎの郷である。切っ掛けは何かの拍子で目にした、テレビ番組の紹介で倉本聰が昼の帯ドラマを書いたというのだ。それが「やすらぎの郷」だ。これをビデオ予約してあり、空いた時間にまとめて観るのだ。このドラマは長年テレビ業界のために尽くしてきた人たちに安らかな老後を送ってもらいたいというある篤志家が設立した「やすらぎの郷」をぶたいにしたもので、業界の人達も風のうわさでは聴くものの、その実態は霧の中で、よくわからないところという設定だ。往年の名女優がぞろぞろお出ましになる。そこに[あなたもよろしければどうぞ」と招かれて入居することになったシナリオライター(石坂浩二)の目を通して、過去の栄光を引きずった名優やそういう表舞台ではなく裏方で業界に尽くした人たちが外見上は穏やかに過ごしている様子を描いていく。しかし、実際には未だ色んな未練を持っている人、遺産のこと、健康のこと、死に様のことなど話題は様々であり尽きることはない。何しろ暇なので同居している同類の人たちへの関心は並のものではない。シルバーエイジにはそれはそれなりに悩みや煩悩は多いのだ。一番驚いたのは、先日亡くなられた野際陽子、訃報を聞いたその週の番組にも出ているではないか!ドラマのそこまで6,70回頃までのレギュラー出演者ではあったのだが、その後もずーつと出演している。聞けば、亡くなる1ヶ月位前まで収録に通っておられたとか、その執念というか頑張りというか、感嘆してしまった。このドラマについてはまた触れることもありそうだ。


水陽輝水会展

小湊鉄道の旅の記録をブログに残すのも大変だったが、ちょうどそれを続けていると図書館からよりによってこんな時に次々と予約した本の準備が整ったとのメールが入る。本も読まねばならず、年に一度の水彩画展の来客を迎えたりで超の字のつく心忙しい日々だった。年に一度の展覧会なのでこの模様もブログに止めておかないと後になって思い出せなくなるのも悔しいので、今頃になってですが書き留めておくことにする。今回も大勢の人が見に来てくれた感謝感謝です。もう少し進化したところを見て貰いたいところですが、これだけは希望と現実のギャップを埋めきれません。今回は「川・3部作」とした。


桂 歌丸

久し振りの落語鑑賞!

朝日名人会の5月公演は桂歌丸師匠のお馴染み、挑戦中の古今亭円朝作「塩原多助一代記」ー多助の出世の場、を中締めにして柳谷小里ん、立川生志、柳谷喬太郎がトリを務めました。歌丸が笑点の司会を降りることになり、いよいよ元気なところを見る機会が減りそうで、有楽町まで出掛けました。車椅子に酸素ボンベを欠かせないという話とは裏腹に元気な声で口演を終えて何だかホッとしました。でも出囃子は幕を下ろしたままで、幕が開くと歌丸は関西落語では使うが東京では使わない文机のような(正式には何というのか?)のを前にしてちょこんと座っていました。まぁ元気で良かった。1936年生まれ。がんばれ歌丸!


伊藤若冲展

NHKでの若冲に関する特集の放映が続いて、これは混むぞ!と覚悟を決めて金曜日20時までの開館を頼りに上野の都美術館に出掛けました。夕方到着にしようかとも思ったがそれでは現役の方々の迷惑にもなりそうで、夕方の端境時を狙って15時半到着、16時過ぎの入館を想定して出掛けたが甘かった。到着すると行列は芸大の奏楽堂まで伸びていてそこで折り返していた。係りの人の持っている看板には160分待ちとあった。それでも1時間20分ほどで入館できました。ヤレヤレ。館内ももちろん大混雑で係りの人が前に進むよう促す声が煩くて興ざめ・・・。

内容は勿論期待通りの素晴らしさだった。先ごろ読んだ澤田瞳子の「若冲」で描かれた若冲の心境を思い出しながら鑑賞できた。最晩年の作「蓮池」や最も多くの作品を残した群鶏図が圧倒的な迫力で見事だった。


澤田瞳子:「若冲」

この本を予約したのはいつだったか、このところ気になりだしていたら図書館から連絡があった。4月22日から都美術館で伊藤若冲(1716-1800)の生誕300年を記念展が始まる。その前になんとしても読んでおきたかったからだ。澤田という作家は知らなかったが、面白かった。若冲の亡き妻の弟、市川君圭との角逐、この絡みの中で若冲がどうしてあのような絵を描いていくのかリアルに描きだしていく小説は迫力があった。作者に聞くというサイトを見ると、京都人である澤田は、ある時若冲の晩年の様子を書いた当時の雑文に、『石峰寺の隠居所に尼の姿の妹と男の子がいた』という記述を見つけたことに、この本の着想を得たらしいのです。歴史小説というのはみな、真贋、史実に忠、不忠織り交ぜて登場人物を活写していくものだとすれば、この作品は小説としても絶品と言えるのではなかろうか?若冲は史実では生涯独身だったらしいのでそういう意味では、正にどんでん返し、そのものではないか!展覧会で絵と対面するのが楽しみになってきた。


川崎向ヶ丘遊園の民家園

先日は、長閑にうぐいすが「ホーホケキョ!」と鳴きわたる川崎の向ヶ丘遊園に日本の民家を描きに行ってきました。今年はじめての屋外のスケッチレッスン。そういえば今年我が家ではまだ鶯の声を聞いていません。毎年、このブログにはいつ初めて鳴き声を聞いたか記録がある。2011年は2月28日、2012年は記録がなく、その後は2013年3月8日、2014年3月4日、2015年は3月9日と正に、ほぼ今日このごろ家で朝早く耳にしているのだ。この民家園に行ったのは3月3日ですから、やはり川崎は八王子に比べれば暖かなんですね。今年一番の暖かさで着ているものが暑く感じられるほどの天気でした。明日はまた冬に逆戻りの寒さだそうですから鶯の声を聞くのはもう少し先になるのかもしれません。


琴奨菊優勝

先日、3横綱を倒したところで、琴奨菊のことを書いたら、その翌日豊の島に負けておやおや、と思ったのですがその後は危なげない相撲で14勝1敗の優勝となりました。優勝後のインタビューを観ていたら、やはりルーチンを守って平常心を保ったことを勝因の一つにあげていましたね。この優勝の陰には3つ要因を挙げていましたね。1つは専任のトレーナーと共に独自のトレーニング(体幹強化)を去年の春から始めていたこと、ルーチン(平常心を保つ)を守ること、奥様の栄養管理。長く苦しんできた怪我を克服できたのもその辺りが大きかったようだ。この専任トレーナーというフレーズに大変驚きました。大相撲と言う古い体質の世界で、部屋のルールとかがあって、その中で専任のトレ-ナーというシステムを許されたのは初めてのことではないだろうか?大相撲といえどもスポーツであり、科学的なトレーニングを取り入れて行くのは当然のことだろう。その意味でも今後の角界に新風を吹き込むことになるのではないだろうか?

 


二十四の瞳

先日、昼食の後何気なくテレビを点けると、前に見たままのチャネルでそれはBS3でモノクロの映画が始まるところでした。昔なつかし波頭が打ち寄せる海岸と富士山、忘れようもない松竹映画のタイトルバックでした。続いて文部省選定・・・これも良く見たキャッチコピー、これなら学生でも映画館に足を踏み込める免罪符のようなものでしたね。何と「二十四の瞳」でした。監督:木下恵介、音楽:木下忠司、高峰秀子が女先生「大石先生」役で20歳そこそこの小石先生から50歳過ぎの「泣き虫先生」までを演じていた。原作は壺井栄。日本の童謡や小学唱歌が随所に流れ、懐かしい日本の原風景を映し出していました。小豆島が舞台でしたね。のんびりした時代の半農半漁の村に、何となく戦時の黄なぐささが漂い始め1937年には盧溝橋事件が勃発し、日中戦争へと戦火が拡大していく。そういう時代の最初の赴任地は岬の分校。そこでの12人の子供たちとの出会いから2年で、大石先生は本校に転勤になる。子供たちの一寸したいたずら心で作った落とし穴に落ちて足の骨を折ったのがきっかけだった。2年生の子供たちが先生の家まで見舞いに行く。そのエピソード位しか見せ場はない。後は時代にどんどん流されていく。教え子が戦地に狩り出され、夫も召集そしてあっけなく戦死する。12人の子供たちの内、戦死者が4名ほどで、残った教え子の子供たちを教えに再び岬の分校に復職する。そこで開かれる同窓会が最後のクライマックス。そんな時代でしたね。涙腺も緩みがちで、懐かしさにも駆られ、ついに最後まで見てしまいました。