やすらぎの郷

テレビ番組を見ることはすごく少なくなった。忙しいのが理由の第一だが、番組に魅力がないのも大きな理由だ。何事も興味を失ったり、好奇心が薄れてくるのは良いことではないと思ってきたが、テレビより他にやることがあるというわけだから良しとするべきだろう。本来なら水彩スケッチにもっと時間を割くべきなのだが、テニスもある。こちらは体力維持を計るという切実な目的があり、減らすことはできない。かくして日中はNPOがなくて晴れていればテニスに行く。2試合もすればこの暑さだからヘナヘナと萎れたように消耗する。夜はもう寝るしかない。そこにNPOの仕事が重なってそちらの比重がドンドン高くなっている。NPOで最も力を入れているのがタブレットを主体にしたシルバーの倶楽部運営である。タブレットの講座を受講頂いた方々の中から更に継続して親しみたいという希望者を募集したところ、20名ほどの登録をいただき、1年半続けたら常連のメンバ-が12~13人できて、毎回熱心に通ってきてくれる。この倶楽部で毎回ミニ講座と認知症予防体操を組み合わせて2時間楽しく過ごすのである。
ところが今ハマっているテレビ番組が1つだけある。やすらぎの郷である。切っ掛けは何かの拍子で目にした、テレビ番組の紹介で倉本聰が昼の帯ドラマを書いたというのだ。それが「やすらぎの郷」だ。これをビデオ予約してあり、空いた時間にまとめて観るのだ。このドラマは長年テレビ業界のために尽くしてきた人たちに安らかな老後を送ってもらいたいというある篤志家が設立した「やすらぎの郷」をぶたいにしたもので、業界の人達も風のうわさでは聴くものの、その実態は霧の中で、よくわからないところという設定だ。往年の名女優がぞろぞろお出ましになる。そこに[あなたもよろしければどうぞ」と招かれて入居することになったシナリオライター(石坂浩二)の目を通して、過去の栄光を引きずった名優やそういう表舞台ではなく裏方で業界に尽くした人たちが外見上は穏やかに過ごしている様子を描いていく。しかし、実際には未だ色んな未練を持っている人、遺産のこと、健康のこと、死に様のことなど話題は様々であり尽きることはない。何しろ暇なので同居している同類の人たちへの関心は並のものではない。シルバーエイジにはそれはそれなりに悩みや煩悩は多いのだ。一番驚いたのは、先日亡くなられた野際陽子、訃報を聞いたその週の番組にも出ているではないか!ドラマのそこまで6,70回頃までのレギュラー出演者ではあったのだが、その後もずーつと出演している。聞けば、亡くなる1ヶ月位前まで収録に通っておられたとか、その執念というか頑張りというか、感嘆してしまった。このドラマについてはまた触れることもありそうだ。


リゾーム=rhizome

伝統的に西洋の形而上学はある絶対的な一つのものから展開していくツリーのモデルであるのに対し、中心も始まりも終わりもなく、多方に錯綜するノマド的なリゾームのモデルを提唱。体系を作り上げそれに組みこまれないものを排除してきた西洋哲学に反抗し、リゾーム(地下茎、根茎)をモデルに発想の転換をさせるところにある。(Wikipedia)
トランプ現象を解説する数多の記事の中で、なる程と思わせる解説がこれに当てはめて解説している。その理解した一部をメモしておく。日経ビジネスの記事で書き手は池田 信太朗氏、日経ビジネスオンライン編集長。この人の見方はインターネットの利用形態の分類と人々の感覚、理解など理性や完成といったものとの特性の組み合わせを分析していて興味深かった。要するに二つの路線を対抗的に書くと、
  クリントン陣営             トランプ陣営
   理屈・理念               感情・感性
自由貿易が国を豊かにする     周囲の国を屈服させて偉大な国家を取り戻そう
 チェンジ・変革           あなたは何も変えなくても良い
   TPP                  アメリカ第一主義
上から目線的理念、主義を説く   野蛮だが力強く、郷土愛・家族愛など感情に働きかける
  書き言葉路線(理論的)       話し言葉路線(感情的)
   ツリー構造型           リゾーム型(地下茎型)
Googleの検索技術          FacebookやTwitterなどのSNS技術
インターネットで知を体系的に集積   インターネットで時々のノイズ的な感想、肉声を集積
  (AI技術へ)            (チェーンメール的、肉体に直接的に働きかける)

スマホ時代のインターネット技術がもたらす恐ろしさを見せつけられている。我々にそれに冷静に向き合える手段はあるのか?原理主義やラディカルな言動が中道・穏健な理性派を圧倒することは過去の歴史が証明している。


OB会

毎年、10月を過ぎると同期会、同窓会それに何かの縁で繋がった人たちで作る会の食事会などが次々と催されて忙しくなる。この日の食事会は自分が会社時代の最後の職場で仕事をともにした仲間で年に2回ほど集まる会だ。この職場(会社)は長年赤字を続けていたのだが、色んな経緯の中で2年間ほどの間、「プロジェクトX 」的なエピソードをいくつも積み重ねて劇的な黒字転換を成し遂げた経験を共有する人たちで構成されている。初めは6人ほどで始まったのだが、それ以来15年も経って、当時の中堅だった人たちもボツボツ定年になり、そういう人達も入れて今年は9人集まった。集まればいつも往時のエピソードの幾つかが飽きることなくみんなの口をついて出てくる。古手の自分たち世代も段々身体のあちこちに故障を抱えるようになってきたが、それらを含めて日々の思いを夫々紹介しあい和気藹々の2時間を過ごす。新規に加わってくる人たちに少しはしっかり生きていることを伝えられるようでありたいと密かに自分に言い聞かせる良い機会になっている。有難いことだ。fdm-ob%e4%bc%9abs


交流の時

夏休みになって、10日ほどでしょうか?我が家の近くでも家々の前に普段見慣れない車が止まっている。「夏休み」なのですね。テニスクラブでも普段颯爽とテニスウエアで現れる会員がお孫さんを連れて散歩スタイルで次々と現れました。この週末は賑やかなだんらんを繰り広げているようです。八王子では今夜がそのピークでしょうか?八王子の夏祭りに花火の日でした。思い立って家の2階から花火をスマホで撮影することにチャレンジしました。ニワカの思いつきではどうすればうまくて撮れるのか判りません。調べている間に終わってしまいました。残念!


ミレニアル世代

ワーキングプア、ロスジェネレーション、格差世代と言った単語が日本にも溢れているが、これが資本主義社会の世界的な風潮になっている。今の不安定な世情をもたらした根底に有る大問題は「貧困層と富裕層の格差拡大」だ。これは偽資本主義経済大国、中国でも大きな問題になってきている。テロの渦巻く世界の根底の引き金の恐らくこの「貧困問題」であろう。
アメリカの大統領選の展開の推移の中にもこの貧困問題がこれまでの大統領予備選の様相を一変させた、と感じる。トランプ氏の過激なぶっ壊し発言(自民党の小泉旋風を思い起こさせる)、民主党でのサンダース氏の終盤までの頑張りを支えたヤング&プア層の声ある声がそのことをまざまざと世界中に見せつけている。このサンダース支持層は民主党お大会でのクリントン支持を無条件では受け入れていない。むしろ今後の戦い方を模索し始めているようだ。それは自分たちの主張を体現する地方議員の大量輩出だそうだ。民主主義が根付いている国はさすが行動する人々が支えているようだ。この流れが順調に進めば、4年後、8年後には民主・共和に次ぐ第3の大きな政党が誕生するのではないだろうか?誕生させてほしいような気がする。形骸化した民主主義の復活のためにも実例を見せてほしいものだ。


伊集院静:「駅までの道を教えて」

小学1年生のサヤカちゃんの心に映る「人の死をどう捉えたら良いの?昨日まで会っていて今日は突然目の前から居なくなるってどういうことなの?」
一人称で語るメルヘンチックながら悲しい生命というものの儚さを語り紡いでいました。他に短編7編。野球が好きな作者らしく、どの掌編にも野球選手や少年時代の野球チームのこと、そしてとりわけキャッチボールの話がよく出てくる。これは本当によく分かる、自分も子どもたちが2人共男の子だったので、小学生時代には本当によくキャッチボールをやったものだ。キャッチボールは言葉は使わないが、投げる球に言葉を乗せることができる。珠を投げ合っているうちに子どもと会話をしている自分にいつも気が付き嬉しくなる。ドンドンストライクを投げたくなる。それが外れると素直に「ごめん」という言葉が出てくる。子供からもそれが素直に出てくるようになる。素晴らしい時間だったなぁ。


社会学というもの

Wikipediaによれば、要約的説明としては次のように書かれていた。
社会学(しゃかいがく、英: sociology)は、社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を解明するための学問である。その研究対象は、行為、行動、相互作用といったミクロレベルのものから、家族、コミュニティなどの集団、組織、さらには、社会構造やその変動(社会変動)などマクロレベルに及ぶものまでさまざまである。思想史的に言えば、「同時代(史)を把握する認識・概念(コンセプト)」を作り出そうとする学問である。
同時代を把握し、理解する杖となるものであるならこれほど重要な学問はないのではないだろうか?

ひょっとして、我らが日ごろやっている井戸端会議や飲み会で大いに盛り上がるのは「現代の政治経済や社会現象をどう見るか」という議論。とすると実にこれは社会学のセミナーみたいなものだ。自分の体験談はフィールドワークそのものだ。
頑固で決して妥協しようとしない原理主義者が増えている。グローバリズムに背を向けて、狭い目でしか物を見ようとしない自己中心主義者が増えている。他者の意見に耳を貸さないだけでなく、テロや圧政(政治力で民衆や公的機関までを黙らせる)によって服従を求める原理主義者が横行する時代になってきました。
この現象をどう説明するのであろうか
今や現代は民主主義の危機、曲がり角に差し掛かっていると思います。色んな意見を踏まえた中庸の意見はほとんど踏み潰されます。この流れを食い止めなければなりません。息苦しい時代を誰も求めていないにもかかわらず、そうしないと他者からの暴虐を食い止められないとその風潮を利用し自分の思うような世界を作り出したいとするような悪知恵の一派がいます。他の選択肢もあるはずなのですが・・・
それにしては社会学者からの現代に対する発言力は如何ほどなのでしょうか?まだまだ、研究が足りないのでしょうか?研究者が少ないからなのでしょうか?発言能力の問題なのでしょうか?聞こえてこなーーーい!!!


岸 政彦:「断片的なものの社会学」

社会学というものの領域というか定義は知らない。著者の岸さんの研究スタイルは、ある歴史的な出来事を体験した当事者個人の生活史の語りをひとりずつ聞き取り、その語りを通して歴史の一断面を描き出す、記録するというものだそうで、「同化と他者化」という著書は沖縄の人々の個人的な語りを通じて戦後沖縄史の一断面を描いた、と書いている。生きている時の記憶を頼りに歴史的な大事件が起きる背景や当事者の考えや感じたことを通して描き、記録に残すということだから割と新しい時代の事どもが研究の対象になるのだろう。この人のライフワークは沖縄、ホームレス、摂食障害の当事者、風俗嬢、外国籍のゲイ、ニューハーフといったジャンルらしい。そしてそういう単語からおぼろげに社会学なるものが包含しているものを想像する。
この本はそうした活動を通しての研究論文にはならない部分で抱いた感想のようなものからなるエッセィだったが、逆に改めてアタリマエのことにも気付かされた。
それは人の「人生というものは断片的なものの集まりでしか語れない」ものであり、「誰にも隠されていないが誰の目にも触れない」ものだという点である。イントロで述べているように社会学で取り上げられるのはほんの一握りの集団を社会学の理論的な枠組みで分析したり、あるいは統計データや歴史的な資料を分析したりして「一つの意味・解釈」を導き出すという作業のようだ。世の中というものあるいは歴史というものが無数のあらゆる階層の人々の営みの総和であるとすれば、「分析されざるもの」、「分析されざる人々」の実態をほんのコンマ何%かの事象・分析・解釈で要約して行こうとしている無謀な学問ともいえる。翻って大半の個人は、勿論この自分を含めて、周囲の人間にはおぼろげにもその存在は知られているものの、時間とともに風化していき、やがてその存在すら時間という海の中に消えていく「分析されざるもの」であるという現実にも改めて気付かさせられる。


夢で会いましょう

近いうちにあるなぁ、とは思っていましたが永六輔氏が旅立たれた。正直寂しいが、あまり情けない姿を見たくはないというのも本音としてはあって、あの永さんらしい伸びやかなコメントをいつまでも記憶の底から呼び起こせる存在であってほしい。懐かしい歌の数々、永六輔を取り巻く中村八大、坂本九、黒柳徹子等などの人たちとの交流をテレビ画面で見る時の寛げる感覚はいつ思い出しても懐かしい。学生時代から社会人になり、また数年経って、1985年(昭和60年)8月12日月曜日に起きた日航ジャンボ機の御巣鷹山への墜落事故で坂本九が亡くなり、同じ飛行機に乗り合わせた会社の同僚が亡くなり、めまぐるしく時代が変化していく忙しい時代を思い出す。色んな折りに触れ、永六輔はフット思い出される人だった。合掌!


テールイベント=想定外が起こった

今日、2016.6.23(イギリス時間)は今世紀の歴史に残る日になるかもしれない。イギリスが国民投票で「EUからの離脱」を選択したのだ。

離脱派が残留派を上回るという世論調査も出て、ありうるかもしれないとは思いながらも半信半疑だったのがテールイベントという言葉で表現されている。シッポの方の出来事即ち、日本流での表現なら「想定外」ということになる。残留派で活発に活動していた女性下院議員のコックス議員の射殺事件でイギリス国民も冷静さを取り戻して結局は残留に落ち着くのではないかという楽観論も潰えた。国民投票の結果がでても、政府がEUに届け出てから離脱に向けた協議が始まり2年かけて離脱協定を締結するのだそうだ。2年が4年になることもありうる。その間、幾多の紆余曲折があるのだろう。その間にはEUそのものの瓦解まで見えてくる。これからの混迷した世界が見えてくる。元々EUという概念が理想主義的だと思う。経済力のあまりにも違う国が寄り集まって同一通貨の経済圏を作ること自体に無理がある。ある種の社会主義的な国家連合だからだ。弱者が居直る構図は傍目から見ても長続きするとは思えない。中国が国家権力で押さえつけていても綻びを抑えられないように、そうした力を行使できないEUがいづれれ瓦解することは避けられないが、それがイギリスから始まるとは想定外だった。

ロシアのプーチンがウクライナからクリミア半島を強奪し、北朝鮮では国連が何を言おうとミサイルと核開発を止めず、中国は自己の力を示すために南沙諸島を占拠し、ISなどのイスラム過激派も好き放題の暴虐を繰り返す。そしてアメリカではトランプ候補がアメリカ一国主義を高らかに謳い上げる。圧倒的な強者が居なくなると世界は混沌として来る。単純な「一国主義」=「自分だけ良ければほかは遠うなっても構わない」=無責任時代、経済が世界規模でつながっているICTのこの時代にこの選択はありえない筈なのだが・・・。