深緑野分:「戦場のコックたち」

アメリカのパラシュート部隊に所属するコック、ティモシー(通称キッド)が主人公の戦場ミステリ。戦争の本当の悲惨さも怖さもろくに考えずに志願兵に応募した17歳。
あの有名な第2次世界対戦でのノルマンディ上陸作戦から物語が始まる。題材からして日本人作家の作品とは思えず翻訳者かと何回も奥付やタイトルを見直す、やはり日本人作家のオリジナル作品だ。パラシュート兵としてフランスの戦場に降下し、ドイツ降伏までフランス、ベルギー、ドイツと戦線を渡って行く。コックなのだが平生は一兵士として戦闘に参加するのだ。ヨーロッパ戦線について未知の部分が多く興味深く読みました。戦場での極限の生活の中で起こる不可思議な出来事を見事に解き明かしていくミステリー形式。悲惨な戦闘シーンとそこで起きるちょっとした不思議な出来事を先輩のエドが謎解きをする。その解けた時のほのかな爽快感とのバランスが面白い。そして戦線をわたり、謎解きが終わる度にキッドは少しずつ大人になっていく。それにしてもアメリカは太平洋では日本と戦い、ヨーロッパでもこれだけの規模の軍を同時に投入して戦った国力の違いを改めて思う。物資の豊富なこと、兵站を考えて着実に戦いを進めていたのでしょうね。最後にナチの捕虜収容所までたどり着いてその悲惨さに絶望的になる。人間はここまでひどいことをしてしまう動物だということを。戦争の悲惨さ、愚かしさを声高に叫ぶことなく一冊の本の中に書き込んだ会心作では!?
作品の中で出てきたレーション(ration:糧食)について。配給品のことらしいが一般的には軍隊の携行糧食のことでコンバットレーションというらしい、略してKレーション。この前読んだ「キジムナーKids」ではお腹をへらした子どもたちが進駐軍の兵士たちからこのKレーションをせしめた時の得意げな話が思い出された。


恩田陸:「蜜蜂と遠雷」

第156会直木賞受賞作。第14回本屋大賞のダブル受賞した話題作で、図書館予約でも抜群の人気作だった。ようやく順番が128番まで来たところでテニス仲間のOさんから声がかかった。お話では自分も予約してあったが300番以上で当分ダメと諦めていたが、何とお嬢さんが購入済みだったとかで今読んでいる。読み終わったら読みますか?とのお誘いで、それは喜んでお受けした。その本が我が家に来てもう1周間は過ぎたか?今日無事読み終った。507ページの大作だった。3年毎に開かれる芳ヶ江国際ピアノコンクールに出場した5人の若者たちのコピいィティションでの闘いを第1次~第3次予選、そして本戦と選抜を通して自らの葛藤を描き、勝ち進むに連れ、気持ちが浄化され研ぎ澄まされ、競争相手の演奏が実は自分を高めてくれると感じ取り、高みに成長していく様をみずみずしく描いていた。何より演奏するピアノ曲に対する若者たちの感受性を詳細に書き上げる作者のクラシック音楽への造詣の深さにも驚かされた。聞く所によればご本人のピアノに対する造詣は深く、学生時代はアルトサックスを吹いていたそうだ。それにしてもクラッシック音楽に対する知識の深さがないと中々沢山の楽曲について演奏スタイルに対する描写力も大変なものだった。作中に出てくる栄伝亜夜20歳は13歳の時に自分を音楽の道に歩ませてくれた母の突然の死以来、公の場から姿を消したかっての天才少女で、その彼女の心の動きには自分を重ね合わたかのように作者の思い入れが伝わってきた。青春群像を描く小説は作者の得意の領域のようだ。図書館の予約を取り消そうとウェブサイトを開くと、何と予約総数は840を越えていた。


恩田陸:「消滅」

自分が海外への出張や旅行から帰国した時、一番に何をしたかったかな?海外旅行を最後にしたのは2004年のカナダだったかな?
そんなことを思い出させるような日本の空港に飛行機が着いた時、入国審査コーナーに向かう時のことが思い浮かぶ。「早く淡々軒の肉ワンタン麺が食べたい」小津泰久、いつも怪しい雰囲気を発散するのか、どこの国ででも入国時トラブルに巻き込まれる大島凪人、その彼にぶつかった子供とその母親、飛行機大好き人間の岡本喜良(きら)、飛行機の中で終始眠っていた爆睡女(女医)海外出張を何回やっても緊張から便秘になってしまう成瀬幹征、育ちの良さそうな中年女性。彼らがこの物語の主人公だ。降り立った空港で異常事態が発生し、入国審査コーナーで次々と別室に連れて行かれる。そこには何故だか先客の中年男とどこから紛れ込んできたのかコーギー犬も1匹。犬は別として集められた日本人の中にテロリストが紛れ込んでいるという疑いがかけられる。テロリストが日本に入国したらしいという国際調査期間からの連絡で騒然とする中、彼らは隔離された部屋に閉じ込められ、「一人混じっているその日本人テロリストそれが誰だかわからない、がそれを相互に見付け合ってほしい」と空港のうら若い女性の管理官から依頼される。どうしてだか分からない中、イライラしながら女性管理官に突っかかる。そして何とこの女性が人間ではなく、アンドロイドのキャスリンとわかる。一体時代設定はいつなんだろう。外観も会話能力もどこから見ても人間、いや人間以上のAIを備えている。彼女?管理され、リードされ、早く開放されたい一心で仕方なく見ず知らず同士で会話が始まる。映画で見た陪審員裁判劇を見るような感じで物語が展開していく。「消滅」が目的だというテロリストは何を「消滅」させようというのか?分からない中での手探りの一人ひとりの感慨、観察、推理、抱えている人生の様々が描かれていて面白い。一体、テロはどういう形で起きるのか、本当にテロリストはいるのか、固唾をのむ内に物語は進む。結末は書けない、この種の物語でそれを書いてしまっては身も蓋もない。読んでみなければ・・・この作者らしい結末が用意されていた。


吉村昭:「シーボルトの娘」

今年の7月は暑い。天気予報によると今年の東京7月の温度は例年に比べ3.5度も高いという。雨もろくにふらなかったので、これからの水不足も心配だ。というわけでブログを書く意欲が湧いてこない。そして、しかし、去年の12月から断続的に読み進めてきたこの長編をようやく読み上げた。小説には違いないが殆んどドキュメントにも等しく、史実を丹念に読み解き再編して激動の江戸時代から明治時代へのめくるめくような変革の嵐をシーボルトの娘の視点で描き出していた。実は恥ずかしいことながらシーボルトが一度、日本を追放されてから再来日していたということをこの本を読むまで知らなかった。またその子孫が明治期にかなりに役割を果たしていたことも勿論、本書で初めて知った。江戸時代の末期とは言え、向学心に燃える医学生達が長崎を目指して集まり、そして全国に散って教育に当り、医学以外の各分野の国民の知識水準が相当に高いレベルにあったことがあの変革を乗り切り、列強の侵略主義を瀬戸際で食い止める力と知恵に繋がったのかもしれないと想像もさせられた。シーボルトの娘とその母娘たちの舐めた苦労もあの大きな変革の渦の中では大したことではないのではないかという思いにさせられるほど記述は叙事詩的だった。足掛け8ヶ月の中には、図書館から予約してあった本が届いてそれを読むために中断を繰り返したことも多かった。読み終えてヤレヤレというのももう一つの感慨だ。本書をお貸しくださったHさんにお礼を言います。有難うございました。


横山秀夫:64(ロクヨン)

その事件は昭和64年に起こり、未解決のまま来年には時効を迎える、という時代設定。D県警痛恨の未解決幼女誘拐殺人事件だ。しかしそれは単なる未解決事件ではなくそこにはD県警が抱える闇があったのだ。主人公三上はその事件にも関わったことのある刑事、いまはD県警広報官。記者クラブを相手に警察の持つ隠ぺい的な体質をめぐり軋轢が絶えない。そこへ警察庁長官の視察が突然設定される。実はそこにはかくされた別の目的があった。つい1ヶ月ほど前には航空自衛隊の広報室を舞台にした小説を読んだところだったのに、今回は警察の広報官が主役という偶然のめぐり合わせに驚きながら複雑な人間関係を頭に入れて読み進めた。昭和64年というのは実は1週間しかないのだ。その間に事件が起きた。迷宮入りした原因の一つは犯人からの電話の逆探知に失敗したことだったのだが、昭和天皇の崩御をめぐる報道の混乱の中で厳しい追求の目から見逃されたこともあった。刑事魂や本部エリートと地元警官との目に見えない角逐など知らない世界を垣間見せてくれる。映画化もされたらしいが知らなかった。


垣添忠生:「妻を看取る日」

「夫に読ませたい本No.1」と帯に書かれた文庫本は国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録。お隣の奥様から一読を進められた本でしたが、正直手に取るのは気が進まなかったが読んで良かったのかもしれない。再生の日々と好奇心旺盛に新たな課題に日々取り組んでいる姿は参考になる。まだまだできることはあるのだろうなぁ・・・。


浅田次郎:「我が心のジェニファー」

日本をアメリカ人目線で見るとこうなるのではないかと、浅田次郎は想像したのだろうね。最初は英語版の翻訳かと勘違いするような本でした。東京、京都、大阪、別府ときて最後は北海道根釧原野で丹頂鶴の「クレイン・ダンス」を観に行くことになるのだがそこで目にしたものは・・・浅田次郎がおとぎ話を書くとこうなるのだろうか?


沢木耕太郎:「春に散る」(下)

40年ぶりに帰国した広岡は特にすることもなくホテルにチェックインすると、その足で後楽園にボクシング戦を観に行く。その後、自分の育ったボクシングジムに挨拶に行き、昔の仲間の消息に触れるようになる。やがて「チャンプの家」と名前が付けられた大きな貸家をシェアハウス風にしてかっての四天王が共同生活を始める。広岡以外の三人は皆、お金に困る落ちぶれた状態になっていて広岡の呼びかけでこのシェアハウスに集まり出し、そこに縁あって有望そうな若手のプロボクサーの青年や「シャンプの家」を斡旋してくれた独身の娘さんも加わる。チャンプは猫の名前で、こうして六人と一匹の猫との共同生活が始まる。四天王たちは自分の持っている技術をその若者に教えることに生きがいを感じていきいきした生活を取り戻す。一方、若者はその技術をどんどん吸収して世界チャンピオンへの道を歩み始める。朝日新聞に2015年頃連載されたものを大幅加筆したとあるハードカバー版。


沢木耕太郎:「春に散る」(上)

久し振りの新刊だ。かってボクサーとして世界を目指し、目前で色んな事情で目標を達成することができなかった四天王とも呼ばれていた四人の同門の40年後、人間どう生きるかという命題はこの前まで読んだ「土の記」と合い通じるものがあった。この処、類似の話に出くわすことが多くてオヤオヤという感じだった。それは何かというと、この本の中で主人公の広岡が住まいを斡旋してくれた不動産屋さんの娘さんと映画を観に行く。そこで元音楽家たち、クラシックの音楽家たちがウィーンの貴族の古い館に引退した後、住んでいる。そこで一世を風靡したかってのプリマドンナが殺される殺人事件の映画の予告編を見るところがあった。広岡は映画の殺人事件に気を引かれたのではなく、「老いた音楽家たちの館」という存在に気を惹かれてしまう。もしこの世に「元音楽家のための館があるとしたら・・・」と。物語の展開が少し見えたと思うと同時に最近ビデオで撮りためたものから観ていた倉本聰脚本の「やすらぎの里」という連続ドラマを思い出したのだ。このドラマではテレビ業界に貢献した昔の俳優や脚本家やそれに準ずる人たちに平穏で安らかな終の棲家を提供しようという夢のような楽園を描くもので、懐かしい現存する老雄が続々登場する点でも魅力的なドラマだ。話を元に戻すと、主人公、広岡仁一は日本チャンピオンの挑戦者としての試合をとても公正とは思えないジャッジで判定負けを喫し、その業界のいやらしさに嫌気をさしてアメリカに渡り挑戦し続けるが、その戦いに敗れ、ホテル業界に身を置いて成功を収める。そして今、心臓にトラブルを抱え40年ぶりに祖国日本に帰ってくる。何のアテもなしに・・・。


高村薫の:「土の記](下)

主人公、上谷伊佐夫は73歳、シャープの工場に勤めながらの兼業農家の主。だが婿養子でもあり農業にはどちらかと言えば素人ではあるが、熱心な実践的研究家でもあるらしく、詳細に稲作を自然相手に試行錯誤を繰り返す。昭代はこの家の長女で陽気な働き者だったらしい。突然、交通事故で植物人間となってしまい17年間面倒を見続けたが今年の冬遂に帰らぬ人となった。それから一人住まいを続け、農業を続け、自然と会話し、昭代さんと会話し、田畑の動物たち、土地の風の音や雨の音と会話して過ごす。時空を越えて想いが飛び交う、現実と幻との境界を見失い勝ちになる。会社の名前がシャープという現実の名前を使い、そこだけが奇異な感覚で読み進むうちに、時は2011年の春を迎え、東日本大震災が物語の中に登場し、リアリティを増す。高村薫はあの未曾有の大震災が我々の生活や観念にどう作用したかを書きたかったのかもしれない、と3/4も読み進む中でようやく思い至った。ひょっとして亡くなった奥さんの面影を抱き続け置いていく老人を描いていくのかと思ったりもしたが、どうやらそうではないようだ。脳梗塞を患い、いよいよ痴呆症の人と化するのかと思うと、そうでもなく、秋の稲穂が生まれる喜びの後、一転して終幕を迎えるのだ。この年、発生した台風とそれに伴う大雨で大きな被害が奈良県で発生した。この事実が物語に幕を下ろさせたのだ。人間の営みの如何にちっぽけなことか、大自然の猛威の前に東北も奈良県もないのだった。それでも彼は奥さんの交通事故の原因を疑い続け、何故自分以外の人を求めなければならなかったのか、自分とのかかわり合いの中からは感じ取れなかったのは何故なのか疑問を解き明かせないまま17年間、看取り続けたのだ。
以下に平成 23年 9月 8日 10 時現在、「気象速報 奈良地方気象台発表の記事」を転載する。
8 月 25 日にマリアナ諸島近海で発生した台風第 12 号は、日本の南海上をゆっく
りと北上し、9 月 3 日 10 時前に高知県東部に上陸した。上陸後もゆっくり北上を
続け 3 日 18 時頃に岡山県南部に再上陸、中国地方を北上して 4 日未明に山陰沖に
抜けた。この台風を取り巻く雨雲や湿った空気が流れ込んだため、日本各地で大
雨が降った。特に、紀伊半島での雨量が多く、降り始めの 8 月 30 日 18 時から 9
月 4 日 24 時までの総雨量が、奈良県吉野郡上北山村で 1808.5)ミリ※、奈良県吉野
郡十津川村で 1358.5)ミリ※を観測するなど記録的な大雨となった。また、3 日 1
時29分までの1時間に上北山村上北山で55.0)ミリ※の非常に激しい雨を観測した。
台風による最大瞬間風速は、3 日 0 時 23 分に十津川村風屋で南西の風 29.5)メ
ートル※を観測するなど強風が吹いた。
この台風の影響で、奈良県では死者 6 名が出たほか、行方不明者 19 名、負傷者
4 名、住宅の全壊・半壊合わせて 16 棟、住宅の床上浸水 82 棟、床下浸水 14 棟な
どの被害のほか、山崩れ・崖崩れによる河道閉塞が発生した。(奈良県調べ:9 月
7日 17 時 30 分現在)