平成から令和へ

マスコミは時代の転換をはやし立て、朝からフィーバー気味に思える。自分にとってこの日に残念ながらそれほどの感慨はない。
ただ色んな情報の中で天皇の「象徴」というものへの真摯な態度、平和憲法への忠実さ、先の大戦への慚愧の念は良く伝わってくる。そこには戦後教育の一環として少青年期に受けた教育がしっかり根付いていることを感じ取る。この平成の天皇のものの考え方は恐らく、敗戦直後から4年間、皇太子時代の英語の家庭教師として招かれたエリザベス・グレイ・バイニング夫人、そしてもう一人、東宮参与だった小泉信三博士の教えに影響されたものではないのだろうか?良い意味で今世界で最も民主主義の何たるかを示しうる数少ない影響力を与えうる人物の一人になっているのではないかとさえ思わせる。昨今の「○○ファースト」を声高に主張する世界のリーダーたちの中に20世紀をリードしてきた民主主義のモラルや規範を示しうる人を挙げるのは難しい。残念なことは天皇が国民の象徴であると同時に神道の祭主でもあるということではないだろうか?言い換えると一部の政治勢力に利用されやすい立場にあるおということだ。
されはさておき、自分にとっては平成とはどういう時代だったのだろうか?昭和に生まれ、育ち、子供たちを育てた世代の人間にとっての平成は50歳代に突入し、自分のサラリーマンのゴールが近づいてくる総仕上げの時代だった。だから平成と共に始まったバブルの崩壊でそれまでの右肩上がりの時代が今後は望めなくなる時代の幕開けともなった。10年後には企業は何が何でも人を減らし、生き残りを図る中で、サラリーマン時代を終えて第2の人生を歩み出した。それからSOHOとして10年の個人事業を体験し、後の10年はフリーな趣味悠々?の日々、という雑な総括だ。そして令和は???言わずもがなだが、人生の後始末の日々となる。遊びに来た孫娘の相手をしながら雨脚の激しい窓の外を眺めての感慨だ。

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